毎日の夕飯の時間のこと

今日の夕飯何しようかなぁと毎日考える。小学校の時みたいに献立表作ったらいちいち考えなくていいし、食材もそれに沿って買えばいいから楽かなって思うけどそれもやってないな。

 


特に夕飯は1日の中で1番力を入れる食事。

そんな毎日にあきるとやるのが「1人料理の鉄人」

小さい頃、料理の鉄人が好きで毎週見ていた。和の鉄人道場六三郎が好きだった。決まった食材時間の中でメニューを考える。スピード感とたまにあるアクシデントにハラハラしながら見る。最高のエンターテイメントだった。

 


この時間までに作り終えると決め、料理をする。ストーブもフル回転して洗い物もしながら作っていく。そうしていると、忙しいキッチンを思い出す。ドケットが入らないくらいズラーっと並んで、ヘッドシェフの罵声が飛び交う。いいパフォーマンスがあれば褒めてくれた。

 


決まった時間で、どんどん作品をつくっていく。

そうやって集中していると必ず誰かが泣いたり「ママーう○ちでたー」とか喧嘩が始まる。

鉄人は今忙しいんだよ!と思いながら中断。

 


試食の際の「おいしゅうございます」はないが、ママのご飯が1番美味しいと旦那が言うと満足で1日が終わるのであった。

心を鎮める時間

日本にいた時、ちょっとやってみたくない⁉︎という軽いノリで座禅をくみに行ったことがあった。

朝早かったため前日から古民家に宿泊。竹林で有名な報国寺で行われた。

 


袴に着替えて、作法や説法を聞き座禅→歩く座禅(竹林を早歩き)→修行している方と一緒に座禅→お粥(ものすごい勢いでかきこんで食べないといけない)→終わり

 


7:30から10:30までがっつりコース。心落ち着かせる時間ってとても大事。読書、ヨガや半身浴や心にゆとりを持つ時間。

 


終わった後はとてもスッキリで「座禅ってちょーすごい」とか言っていたけど、今思えばあのスッキリは、極度の緊張感からの開放だったかな。

 


ピアノの発表会の後のような、最近では出産を終えた時など。何かに向けて動き達成する。仕事もしていないし、この年になるとそういう機会って自分から作るしかない。

 


あの時の座禅は、足が痺れそうとか雑念交じりであまり本質が分からないまま終わったけど、また機会があったらやってみたいことのひとつ。

とある日

車を運転していたら鳥を当ててしまった。。逃げるのか逃げないのか微妙なところで、動物が来ても避けたらダメとか言ってたなぁとか、色々考えてるうちに判断が遅くなって、ポンと当たってしまった。。

バックミラー見たら歩いていたからまだ良かった。


子供たちを送ったあと鳥のところに戻る。

1匹のカラスがトコトコ歩いていた。飛ぶ様子がないので飛べないのかなぁ、自己満足みたいだけどごめんねと言って家に戻る。


家事をしたあと、ソファーでくつろいでいたら1匹の蚊が飛んで来たので不意にパシッとしとめる。心の中で「よしっ」って思った時、あの鳥のごめんねとこの蚊は何が違うのかと気づく。


夕飯はそういえば鶏肉だったな。矛盾だらけの世界でそこを追求するわけでもなく1日が終わる。


車の運転気をつけよう。

名探偵

三男17ヶ月。色んなものに興味がある時期。

とりあえず一通り散らかします。片付けた5分後には元どおり。


夕方のターゲットは台所。ご飯作っている時も手を休めず散らかしまくります。


もういい加減にしてーっと思い床を見たら、買ったはずなのにないなぁと思っていた炒りごまを発見。


三男よ、なんかどうもありがとう

目に見えにもの

ものベットバグやダニの被害はあったことがあるだろうか。

最近引っ越したのだが、わたしだけダニのような痒みが毎日増えて行った。

シーツ洋服を洗濯し直しても取れず、結局マットレスを変えたらおさまった。子供たちと寝ていたのにわたしだけ食われたからベットではないと思っていたけど。引っ越し屋さんの毛布についていたのかな。色々な布を見るたびこれにダニがいるのか!?と怯える毎日😵もうこりごり。


  ここ最近次男が、「自分の家族に会いたい」と言ってくる。彼には妹と弟がいるらしく、弟は病気だけどHBF(保険会社)があるから大丈夫らしい。

前世かなぁと思ったけど彼の世界かな。美味しいものがあると、僕の家族にも食べさせてあげたいなと言ったり、バック用意して会いに行ってくると出かけようとしたり、なかなかリアルである。


  昨日プレイグループで歴史の話になった。とても興味深かったのが、ある人の日本人のお友達が霊感が強いらしく、オーストラリアに来てびっくりしたことが、見える霊の量がとても少ないということらしい。オーストラリアの歴史はまだまだ浅く、戦争や無念の死が少ないからだろうか。

わたしには霊を感じることも見ることもできない。見える人はそんなに見えるのだろうか。その見えるものは強い思いなのか成仏できないでいるのか。


ただ今午前1時。日中の音だらけの世界と一変して、静寂の中で時折聞こえる車の音に安心を覚える。

寝かしつけと同時に寝てしまい、夕食の準備で切った大根で手が痒くなり起きる。眠れなくなり何か書こうと考えていたら、色んなかたちの目に見えないものたちが浮かんできたので。

 私の就活はまさに氷河期真っ只中に行われた。私は専門職希望ではなく一般事務希望だったのでとりあえず手当たり次第受けた。氷河期と言われただけあって、簡単に内定は取れないだろうなぁと思っていたので、内定をいただくまで20社程受けたけど、そんなものかと思っていた。でも自分を主張し、受け続けるものの、不採用が続くといい気分ではなかった。

 

 毎回面接や試験があるたびにその会社に向かう。降りたことない駅や通ったことのない道を、スマホもなかったので地図を見ながら探す。

実際歩くと隠れ家的なステキなお店を発見したり、花が咲いていて春が来たなと思ったり。季節が変わると空気や空も変わり、歩いていると色々な発見があった。

東京は駅と駅の距離が短いので歩いているとすぐに次の駅に着いたりする。「ここ見たことあるなぁ」「ここはこの道につながっていたのか」とかその発見が楽しかった。


 後ろを振り返れば今まで歩んできた道のりが見える。あの時は分からなかったその道は見えない糸のように繋がっている。そしてそれは未来へと繋がっていのだろう。と言ってみる。


結論からすれば私は散歩が好きなアラフォーなのである。

フォトジェニック

  短大時代、私は写真部に所属していた。中高の運動部とはガラリと変わり文化系に入ってみる。ガチガチの写真部ではなくゆるーい写真を好きなように撮るだけの集まり。女子大だったし、カメラブームからか先輩も友達もおしゃれな子が多かった。年一回合宿があり、旅先で30人程みんな首からカメラぶら下げてシャッターチャンスを狙っているのは異様な光景であった。


バイトを掛け持ちして貯めたお金で一眼レフを購入する。EOSのKISSシリーズ。オートで半押しすればピントが合う楽なカメラ📷マニュアルでピント合わせとかしません。とりあえず撮りまくる。首から下げてどこでも撮る。


顧問がいなかったので、先輩に現像方法を教えてもらう。酢酸の匂い漂う暗室での現像作業。撮ってきた映像がスーッと浮かび上がる科学実験のような作業。2年生の就活中は合間をぬって黙々と現像するのが癒しになっていた。


都会は人工的なものが多いせいかどこか無機質な写真になるような気がする。モノクロが似合うというか、灰色の空がそうさせていたのだろうか。都会を離れると自然が芸術品として完成されているので、シャッターを押すだけで自分最高!と思う写真が撮れた。


携帯やデジカメとは違ってその場で確認できないが、写真を撮った後の現像作業はワクワク感でいっぱいだった。


 そして今子供ができてからまた写真を撮る機会が増えた。たまにマメな子が写真を現像してわざわざくれたりする。いざ手にとってみると、いい写真がとれていても面倒くさがりのため全然現像していないことに気づく。写真は劣化してしまう為データで残しておけるのはありがたいが、また現像してみようかな。